大木あまり「句集 火のいろに」『花冷え』

 花冷え    1984〜1985・4


墓にきて揚羽の恋のゆらゆらと (投込寺(浄閑寺))
猪を火伏せの神に箒草 (投込塚豕塚)
一葉の路地の欲しきは白雨かな
鳴かぬ蝉鳴く蝉一葉仕入れ (一葉記念館
朝顔や三ノ輪の猫のこぎれいに
遠雷やたどりて吉原今昔図
下町に隠し川あり蚊喰鳥
廓跡ほほづき低き風通す
横丁のいつか骨道新生姜 (こつみち)
山肌の昼より照れり血止草
香水の一瓶涸るる月夜かな
芋の露やさしくなりて死が近し (愛猫に)
寺の出の黒子の多し花木槿
日の丸を木槿隠さず戦憂し
がちやがちやの森を壊してゐたりけり
丹沢の秋蚊大きくランプかな (丹沢 十句)
遠山は父の山なり秋あざみ
九月逝く五右衛門風呂の炎かな
五右衛門風呂の蓋はたつぷり赤のまま
山中の秋めくものに枕かな
十月の魚の影みず神ノ川
穂芒のはじめはねぢれ人通す
山の暑さ山に返しぬ曼珠沙華
手拭を月光に干し瀬音かな
老杉に命綱張る烏瓜
夫の背の壁に見ゆる日雁渡る
秋風の一気に父のデスマスク
一川の海に砂吐く十三夜
神父さま選つて厄よけ生姜かな (生姜市 三句)
曼珠沙華髭落したるやぐらかな (逗子まんだら堂)
引き潮の音の箒や秋の山
山中に竹しなふ音菊膾
干し魚に晴れの定まる芒かな (小坪港 二句)
海鳥に十月の海夢ごこち
雨に散る火宅の紅葉裏高尾
交はらぬ週山茶花をまぶしめり
冬を咲くキョンナムさんの鳳仙花
風邪ごこち鳳仙花の種とりつくし
風花や畝まで走り鶏交む
寒きかなエデンの園を追はれしより
ぼろ市のぼろの切れ目に臼と杵 (ぼろ市 四句)
ぼろ市や空一枚を使ひけり
ぼろ市の風筋に泣く双子かな
先生を風の押したりぼろの市
綿虫に大山晴れとなりにけり (大山 八句)
神鹿のひづめさびしき懐炉かな (大山阿夫利神社
眠る山ことに禿山深ねむり
日に火照る冬柿茶湯供養かな
鐘撞いてこぬ顔いくつ牡丹鍋
猪鍋や大山の闇待つたなし
牡丹鍋杉山の威をまうしろに
牡丹鍋みんなに帰る闇のあり
悲しみの芯となる母氷点下
夫にして悪友なりし榾を焚く
狐火や山づくしなる母の国
鳥肌の地鶏を食べて年酒かな
十橋のひとつは寒し箱すみれ (夷堂橋 (鎌倉 九句))
阿仏尼に冬青草の丈くらべ (阿仏尼供養)
尼寺や冬木の枝に桶を掛け (英勝寺 二句)
尼華やぐ凍て雑巾に湯をかけて
捨て水の比企の氷となりにけり
臘梅や泣き虫の子も末は僧
尼が買ふ蛸と水仙由比ヶ浜
青天のさびしき寒に入りにけり
寒風を殺してゐたり波殺し
大寒の針ともならぬ猫の髭
冬鵙や取り替へきかぬ山の数
杉山の風出はらひて初天神
大樟にきて寒風のうさばらし
松山の寒動かざる抹茶かな
懐炉あつしレンブラントの絵を過ぎて
寒肥の湯気を立てたり鶏日和
木瓜や子なきは乳房子のごとし
寒月下あにいもうとのやうに寝て
葺替や矢倉岳よりくる踊り水 (やぐら)
葺替の屋根の箒と庭箒
葺替の終りは萱の響くかな
滝口に夕日を落し蕗のたう
春滝を塔と仰げる女かな
初蝶や豚小屋しきる垂れ筵
梅しだれ曽我十郎の忍び石 (曽我  城前寺)
山鳴りの水仙影を伸ばしけり
山中に鴨の飼はれて春の鐘 (大雄山 最乗寺)
畦火駆く我を火伏せの神として
杉山の切り株濡るるお中日
さくら咲く山河に生まれ短気なり
桃の花土に寝かせて花供養
山棲のまぶた疲るる花のころ
雨くるか椿の闇に長居して (法然院 (京都 二句))
鴨浮いて蜜のやうなる春の沼 (深泥ヶ池)
唐櫃の重さうないろつばめくる (吉水神社 二句(吉野 九句))
               (静御前衣裳入れと言はるる唐櫃あり)
一畳の花冷えなりし昼の闇
花影を出て影曳けり大男
花吹雪塔婆の丈のやつれけり
かげろふの誘ひに乗らず行者道
包帯のぬくさに似たる花の中
花冷えのことにみやげのさんご数珠
風を聴くさくらはおどろなる木なり
花冷えのほか寄せつけず
束の矢の冷えをあつめて花の冷え (京都三十三間堂
花終る止めの風は比叡より (とど-め)