大木あまり「句集 雲の塔」『第一章 蕗の雨』

 第一章 蕗の雨    九十三句


太陽をうたがはず山眠りけり
菜の花や怒り足らざる波頭
おぼろなる仏の水を蘭にやる
鎌よりも指が鋭き春の蕗
泥棒日記の男が死んで花盛り (ジャン・ジュネ逝く)
鳥雲に塔婆は薪となりにけり
さらさらと葱に風くる復活祭
炎昼のチェスはさびしき遊びかな
落城の日も夏萩の咲きたると
蝉殻のダリのいろおく渚かな
ことごとく裂け月の出の青芭蕉
火の匂ひ海にながるる晩夏かな
それぞれの顔のやさしき桃の中
まだ誰のものでもあらぬ箱の桃
長箸のさきの焦げ跡つくつくし
水仙猫は狩の眼してゐたり
枝炭の骨の音して山あかり
冬の雁子を産む齢すぎにけり
ふたりして岬の凩きくことも
海苔採りの遊んでゐたる鬼の岩
猫死んで若布の桶に日がいつぱい
干し若布からから海を忘るる音 (ね)
尼の手の障子ぴしやりと百千鳥
快晴のさくらのしたの話かな
塩壺をふつと怖るる花の雨
白波に首いどむなり春の鵜は
大空に月の崩るる遅桜
牡丹園牡丹の荒れも見するなり
鞭となりあひ打つ山の青芒
雲の峰もう奪ひあふもののなし
鳥籠を風の襲へり柿の花
愛されずして青とかげよく走る
朝の沖潮けむりして瓜の苗
鱝の子や遊びの果てに生まれしか (註:エイ)
沖泳ぐいじめられつ子いじめつ子
海の闇はねかへしゐる裸かな
都草吹かるる丈のなかりけり
友に恋われに税くる蕗の雨
夕立の修羅をはりたる柱かな
寝床より母の手招く蛍籠
蝉殻の吹かれやすきは雄ならむ
八月のくれなゐばかり墓の花
秋風や射的屋で撃つキューピッド
岩をみて肩の凝りたる紅すすき
雲の上の塔に邯鄲飼ひたしや
柵のなか突立つて牛しぐれけり
短日のつむじの目立つ男の子
初笑ひ夫の笑ひと合はぬなり
干し魚の肋あらはに雪催
竹林の晴れを映せる氷かな
凧を揚ぐすきまだらけの男の背
冬の蜘蛛獲物をまはしをりにけり
秘密なきふたりといへず冬の草
眼も口も裂けめの寒の夕焼けかな
闇のなか動いてゐしは山の雪
雪の日は裸身ですごすごとくなり
女番長よき妻となり軒氷柱
水仙の丈の揃ひて悪寒かな
梅咲くや子供の声のせぬ家に
桃の日の山より家を建てる音
母とゐて雛の間といふ眠たき間
蛙らの泥んこの恋はじまれり
うつぶせに寝て父の夢ヒヤシンス
かたかごに棒のやうなる声通る
水桶に豆ふやけゐる春休み
春風の疾風にかはる夜の柱
筍のかなしきまでに湿りけり
ものおもふ竹となりけり梅雨の中
木の揺れが魚に移れり半夏生
雷蝶の身を立て直す泉かな
漣のなに問ひにくる単帯
風船かづら禁欲のいろ極めけり
太陽や竹林といふ夏の檻
夏の蝶かげろふものを置き去りに
梔子に白き虫棲む誕生日
恋をせぬ顔のやつるる葭簀かな
月見草つぼむ力のありにけり
秋蝶や波が吐きだす海女の桶
鶏頭にひかりの波のひと走り
殺生の網のもつるる秋の風
野分後のかもめは波を使ひをり
時化あとの白をましたる冬鷗
マフラーを大きく巻いて死にたしと
影捨つるばかり麓の朴落葉
牡蠣鍋や狂はぬほどに暮しをり
木の股にリスは尾をかけクリスマス
雪の牛難民の眼をしてゐたり
母の手の冷えきつてゐる春著かな
巌頭に日が射しにけり蕗のたう
落ちてより空に執着紅椿
ひとひらの火もなき春の焚火かな
食卓のくもりひろごる蝶の昼
ふかぶかと百合植ゑつまらなくなりぬ