大木あまり句集「星涼」百五十三頁〜百九十一頁

 星涼    百五十三頁〜百九十一頁(了)


ももいろの吸取紙と春蚊かな
春の鳥まばらに飛んで猛々し
もの思ふ春の障子の外にゐて
春風や人形焼のへんな顔
行き暮れて葉ばかりひかる玉椿
刀剣を立てかけ何もかもおぼろ
谷に住む若き男や蚊遣香
箱庭の墓場のやうな静けさよ
烏の子青びかりして草の原
三人の友ゐて木々の明易し
国原や畠の煙と青鷺と
白玉を食べるや心そこになく
夏至の日のでこぼこ道を乳母車
太陽はひとつにて足る蔓菜かな
我が夢も闘魚の水も淡くして
真桑瓜戦時の父の手紙かな
噴水や用ある人も無き人も
ままごとのやうな暮しや秋燕
蟷螂の影うつくしと描きをり
みんなみは竹の春なり雑木山
ころがつてゆくものの影水澄めり
夢うつつ野分の蝶を追ひもして
髪の毛に憑きものつきし夜の柿
アスファルトより草がのび運動会
檻のものみな哀れなる芙蓉かな
しんみりと聞くことばかり吊し柿
ひんがしに離宮のありて月の茸
葉陰あるところに椅子や白秋忌
菊の葉の冬に入りたる都電かな
鏡台や落葉の音を聞き分けて
木の枝に白き茸や七五三
六十を過ぎて夜遊び毛糸帽
流るるやうに馬が走るや収穫祭
胃が一つある楽しさや関東炊
狼の絶えし吉野の野蒜かな
竹林に恋猫として埋めけり
花よりも松葉を散らす夜雨かな
鳩と遊ぶだけの浅草あたたかし
藤咲いて土偶のごとき夫婦かな
竹秋の夕べとなりぬ裁ち鋏
人の声おぼろなりけり方丈記
目が見えて口使ひをる燕の子
葉桜や長患ひは恋に似て
自愛とは梅雨かなかなを聞くことか
仰がねど青空見ゆる氷水
蝦蛄を喰ふ顔の小さき三姉妹
喪の家にクロネコヤマト来て西日
忘れ潮より泡うまれ蟹走る
ときどきは危ふき揺れや船遊び
水虫のうつりさうなるスリッパよ
願ひごとあり水無月の太陽に
草踏んで嬥歌の山のひきがへる (かがひ)(註:歌垣)
髪たばね涼しく病んでゐたりけり
病室やひと日くづれぬ雲の峰
焼き茄子の紫しぼむうまさかな
鱧食べて明日のことなど聞く勿れ
逝く猫に小さきハンカチ持たせやる
なめくぢの眠るごとくに交みをり
退院やゆふやけに逢ふ猫に逢ふ
犬の糞ここに西日も金蝿も
砂が飛ぶ西日の中に手をつなぎ
人を待つ風の柳に西日かな
夕立や固くなりたる鉢の土
飛ぶものの脚をまぢかに原爆忌
道に出て秋のはじめの懐手
朝顔のしぼめるさまも目になじみ
終戦の日は四歳で泣き虫で
絡み合ひ何もいたさぬ秋の蛇
序章より死があり水の澄みにけり
家ごとに電流ながれ葛の花
山姥の愁ひいつより葛の花
雑木とて爽やかに葉を落しけり
高からぬ山へと道や月夜茸
蟷螂はあちこち眺め日は西に
軍服の匂ひのしたる藁塚よ
ぼた山に夜がきて黒き猫じやらし
冬草や夢みるために世を去らんむ