大木あまり詩画集「風を聴く木」『2-沈黙』

 沈黙


あなたに逢ったのは
ペット・ショップだった。
あなたは ヒマラヤンに
見惚れていた。


猫が好きですか
と言う僕の質問に
答えず
薄暗いところで
なくことも忘れている
小鳥たちの方へ
行ってしまった。
僕は見た。
あなたがそっと籠の
小鳥たちを
逃がしているのを
小鳥たちは とどまって
騒いでいたけれど
すぐに光を求めて
礫のように
空に 消えていった。


なにくわぬ顔で
あなたは
お店を出て行った。
皆殺しか 解放
とつぶやきながら。


僕たちが
友達になったのは
公園に棲みついた
一匹の猫がきっかけだった。
いつも ゲートボールの
老人達に占領されていた
公園は
その日 どしゃぶりの雨で
静かだった。
透明な傘をさして
あなたは
猫に餌をあたえていた。


この猫は いつも
木の下で
陽だまりみたいに
わたしを 待っているの
とあなたは言った。
白い猫なので
水たまりのように
思えたけど
鉢の花を
買うとき僕は
ベランダの 夕日を
思い出します
なんていってしまった。


いつも あなたは
霞のように いてくれた。


あなたは
美しい 罪人だった。  (註:つみびと)
なぜなら
僕を優しい少年に
変えてしまった。
ひそかなる
禁欲の楽しみさえ
奪ってしまったのだから。


僕は何度も
あなたを抱いた。
背中に海を感じながら。
あなたは
抱かれるたびに
悲しそうだった。


ある夜
風に引き裂かれた
レースのような
花を見て
わたしの傷跡に
触れると
この花みたいに ざらざら
と あなたはいった。


僕は白い
冷ややかな
烏瓜の花に
はじめて 触れてみた。
月光のにあう花。
ドラキュラの花。
血のペンダントの
ような烏瓜から
想像もできない
潔い花。
僕はこのとき
あなたを 遠くに感じた。


母の急死で
一週間 逢えなかった。
僕は真綿みたいな
悲しみに
くるまれながら
今日ママンが死んだ
という 出だしではじまる
カミュの小説を
思い出していた。


あなたに逢いたくて
飛ぶように アパートに
帰った 僕に
マンハッタンから
あなたの手紙が
届いていた。
めまいがするほど
儀礼的な手紙だった。


あなたが
帰ってこないことだけ
確かだった。
あなたという猫を
ちょっと 呼びとめて
しまっただけなのだ。


僕はまた禁欲の
喜びに ひたっている。
どんな 女の子と寝ても
僕はさびしい
けものに なるだけ。
僕の肉の笛は
傷ついた あなたの
花芯に 触れたとき
だけ 人間になれた。


マンハッタンの
ペット・ショップでも
あなたは 小鳥や
猫を逃しているだろう。
あなたは 今、誰よりも
自由だろう。


あなたは 男の中に
やすらぐ場所を
見つけることができない。
あなたは 男たちの
心に針で つついた
ような傷みだけ
残して消えてゆく。


もうじき
マンハッタンの
孤独な空のいろにも
飽きるだろう。


レオノール・フィニーの
画集の中に
あなたに似ている
女たちがいる。


残酷で
もの静かな
仮装した女たち。


光より
影を 吸収する
女たち。


僕はたしかに
あなたに 触れた。
仮装した
沈黙という
あなたに。