大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」P96

 牡蠣鍋や狂はぬほどに暮しをり


 母の世話や心労で軽い鬱になったことがあった。そんな時、長谷川櫂さんが母と私を藤沢の自宅に招いて下さった。心づくしの手料理で私たちをもてなす櫂さんはその頃、記者としてまた俳人として多忙な日々を送っていらした。だが三十代にしてすでに大人(たいじん)の風格があった。帰りのタクシーの中で母は、「楽しかった! これで狂わずに暮らしていける」と呟いた。それは私の台詞でしょ、と言うかわりに母の手をぎゅっと握った。 (『雲の塔』)