大木あまり「句集 雲の塔」『第四章 魚のやうに』

 第四章 魚のやうに    九十五句


弓なりの干潟となりぬ網雫
汐干狩雲に狩られるごとくをり
高風の貝を掘りをる愁ひ顔
洛北や花屑もやす薄煙り
夢殿にさげて一穂の麦青し
ゴールデンウイークの数珠使ひけり
くつがへる藻草の紅き端午かな
使はざる枕の匂ふ麦の秋
老成の斑が筍にありにけり
竹の皮吹き飛んでくる牡丹かな
雷の真下にをりし狂言師
昼顔や底の抜けたる鼠取り
漣を目にあましゐる実梅かな
根津町は黒猫多し夏火鉢
青蔦を風の押しあげ人形倉
白雨くる学生街に廓跡
夕星をひとうちしたる雷火かな
同籠をしかけてをりし裏祭 (同籠とは穴子※のこと)(註:※=竹かんむりに奴)
悪友にどすんと仕掛け花火かな
大花火乳房を打つて終りけり
花火屑乗つかつてゐる茗荷かな
父の忌の水のささふる瀧柱
瀧みちの松の鱗のそりかへり
瀧音に肩をそがれてゐるごとし
炎天の署名小鳥の籠さげて
川中の草の匂へる土用かな
傘立ての外の黒傘終戦
恐龍を仰ぎどほしに日焼の子
地獄絵の鬼のおかしき草の花
太陽のかくれつぱなし黄菅村
風呂釜の底より声のちちろ虫
かなかなに寝足りし牛の涎かな
毒をもて肝をなほせる草の絮
始末書をかかされてゐる秋扇
曼珠沙華鎖をつなぎ合ひにけり
洗ひたる胡瓜のくびれ秋の瀧
鶏頭やせつなきまでに家柱 (信濃に姉の家完成)
家ぢゆうの時計鳴りをり穴まどひ
院長のうしろ姿や吊し柿
朝顔の種のはじけし猫の髭
黄落の枝に吊つたる馬の鞍
馬の背をつぶさに歩く秋の虻
草の実や馬の頭上の茜雲
すきまなき馬の歯みゆる鶏頭かな
すれちがふ馬の殺気や草の露
秋風を舐めてをりたる馬の舌
草の穂や渚のごとく馬場の砂
十月の草色したる馬の糞
色鳥のひかりこぼるる装蹄所
すりよりし馬の涙目鬼芒
秋の蚊のねばつてゐたる馬の鼻
十六夜の魔除け蹄鉄買ひにけり
俎板の鯉の弾力十三夜
水霜に揚ぐ日の丸の皺つよし
木犀の香につつまれし老天使
病室の塵の爪立つ秋日かな
生国を忘れし母の息白し
山茶花の丸く刈られし屍室
少年の夫のゐそうな冬野かな
喪の旅の途中大根引かれけり
鯛焼のあんこの足らぬ御所の前
葬列の兎の罠を過ぎにけり
熱燗や日暮れを鯉のよく泳ぎ
砂ぼこり馬とわけ合ひ冬の菊
母の髪入りし針山柿落葉
鬼貫を愛せし父のマントかな
楽しきは黒きマントの虫の穴
焼藷の灰のほとぼり山の国
凍瀧にぼんやりしをるオペラ歌手
水鳥の水なめらかに朝の市
青がちの根深を尼の買ひにけり
綿入の首塚の辺を掃きをりぬ
道場の厠を借りる冬紅葉
三の酉はてし煙の太柱
縄とびの大波小波猟期くる
見舞籠冬の豪雨に逢ひにけり
病む母の髪まで病める冬の柿
妻たちに冬の青空果てしなし
銃口のなかのうす闇冬の柚子
甘柿の傷みはじめし障子かな
冬麗の馬のしつぽに憧るる
泥葱を引きずつてゐる装蹄具
湯気のたつ馬に手を置くクリスマス
青竹のふれあふメリー・クリスマス
冬帽子不敵な雲の下にかな
水族館餌どきなりける冬菫
青空の白くなりたる餅配
涸瀧の鋼びかりに懸りけり
恋人と艫綱をとく初茜
猫の尾のひかりあつめし初景色
飾焚く顔てらてらと鬼才かな
一月の色闘へる未完の絵
寒風と魚のやうにすれちがふ
死ぬといふやすらぎ冬の海になし
魚の声水にひびけり冬の暮