2005-01-01から1年間の記事一覧

鴬谷のT氏

むかし、といってもずいぶん昔、ぼくが子どものころ、NHKテレビで「事件記者」というドラマを放映していた。 事件が鴬谷で起こって、各社の警視庁詰めの記者たちはいっせいに上野へ走った。ひとり、いつも三枚目の狂言まわしの役どころの記者がいて、もたも…

H氏と煙草

武蔵小金井のお大尽のH氏は、タバコを集めるのが趣味で、いまでもあるのかどうか、ソニービルのなかにあったタバコ屋さんにたびたび買い物にみえた。おもに輸入の外国タバコで、一人当たり何個しか買えないというタバコもあった。 割当があると、いかにお大…

怪しい来客簿

「こわいから、逃げてきちゃった」 麹町の料亭のおかみさんは、特徴のあるハスキーな声でいいました。 きっと、子どもの頃、築地界隈のがき大将で、おはるちゃんと呼ばれたりしていたときにも、やはりこのハスキーな声だったのでしょう。 その日、作家の対談…

大阪の川中さん

昭和53年という年がどんな年だったか、おぼえていますか? ぼくはこの年、正月早々、出張で大阪球場のそばにあるビジネスホテルに宿泊していました。 前年の暮に大阪支店の社員が大挙して退職してしまい、新年が明けたら早速募集をするから、その新人たちが…

アナグラム 4

上下さんは、タカラヅカが大好きです。日比谷の東京宝塚劇場での公演も欠かさず観に行きますし、泊まりがけで宝塚大劇場へもこまめに赴きます。「わたしの場合、歌劇団の生徒だから応援するの。卒業したら、もう関係ないの。唯一の例外は、大地真央。真央ち…

アナグラム 3

上下さんは、二人のお嬢さんに、うちの旦那さまは宝くじに当たったようなもの、と公言してはばかりません。だから、あなたたちも、男を見るときは、よーく眼をひらいて選ぶのよ、女の一生がかかっているのだから。 上下さんがご主人を射止めた法というのは..…

アナグラム 2

作家の泡坂妻夫氏は、神田鍛冶町生まれと年譜にあります。三代続く紋章上絵師の家、松葉屋に生まれ、ご自身も跡を継がれました。着物の紋付のあの家紋を描く仕事です。丸のなかに繊細微妙な線を引くこまかい作業で、手が震えるといけないので、ふだんから箸…

アナグラム 1

厚川昌男という名前をご存じでしょうか。あつかわまさお。ご存じない? では、あわさかつまお、はいかがですか? こちらはすぐおわかりですね。泡坂妻夫。第103回直木賞受賞作家です(「蔭桔梗」1990年新潮社刊)。 これはアナグラム、文字の綴り替えといい…

東京日記その2

幼女は、雪の日に外へ出た。 東京にしてはめずらしく降り積もって、雪ダルマくらいはできそうだった。しかし、幼女はまだあまりにも小さかったので、雪ダルマのように大きなものをこしらえるのは、とうてい無理だった。 幼女は、お盆の上に雪を固めて、ウサ…

東京日記

台風が去ったあと、バス通りの向こう側の、川に面した一帯が水につかっていた。バス通りから向こう側に下る道は、途中から水にもぐってしまった。 幼女は、水着に着替えて、浮き輪を持って坂道をおりて行った。にごった水が、風に揺れている。幼女の顔は、パ…

鎌倉会長とスーツ

ぼくが学生のころは、アイヴィ・ルックが全盛でした。高校のとき、放課後、受験を控えた上級生の補習授業に参加させてもらうと(それくらい勉強家だったこともあります)、机のなかに上履きのスニーカーがはいっていて、右のかかとにVAN、左のかかとにJYNと…

藤山寛美さんのシャツ

藤山寛美さんの公演が新橋演舞場であったとき、当時の松竹の支配人さんが、お礼にワイシャツをプレゼントすることになった。秘書のSさんがぼくをひいきにしてくれていたので、それで推薦してくれたのかもしれない。 藤山先生は白しかお召しにならないからそ…

I氏とその女性

I氏は、ちょっと若いときの仲代達矢に似ていて、背が高く、からだもがっしりしている方だった。胸のあたりまでシャツのボタンを外しているので、胸毛が見える。アルコールが入ると色白の顔が真っ赤になったが、胸毛のはえた白い胸まで赤くなった。この仲代達…

M君と釜本次長

「M君ていたでしょ?」 釜本次長がいいました。 「いっしょに外商に行って、ホテルに泊まったとき、顔を洗おうとしたら、洗面台にいっぱい水が張ってあって、コーラの瓶が何本もつけてあったの」 そういいながら、宙をみつめました。 「そのときは、シングル…

M君との引継ぎ

入社してすぐ、4階の倉庫に案内してくれたのは、M君でした。M君は、倉庫に入ると、すぐ鍵をかけました。 「こうしておかないと、突然だれが入ってくるかわからないから」 そういって窓をあけ、デコラの事務机の上に腰をおろすと、タバコを吸いはじめました。…

荻馬場さん

荻馬場さんは、ぼくと同い年ですが、10年先輩でした。しかも、ぼくが入社したときには、もう結婚退職して、店にはいませんでした。 荻馬場さんという人が知りたければ、そのとき女性のチーフをしていた、荻馬場さんの後輩を見ればよくわかる、といわれました…

ある日の山口先生

山口瞳先生がぶらりとみえて、椅子に腰をおろしてすぐに溜息をつきました。 「嫌われる男の特徴は、はげ、でぶ、ちび、めがね、だそうだけど、気がついたら自分がそうだった。青春をかえせっていいたいね」。 しばらくしてから、ぼくはふきだしました。 山口…

ゲッタウェイ!

サム・ペキンパー監督とジェームス・コバーンが、映画『戦争のはらわた』の宣伝に来日したのは、何年頃だったでしょう。映画のほうは、1977年に製作されています。 深夜番組に二人がゲストで出てきましたが、生番組だったため、放送時間中に近所に住んでいた…

掛け売りと小切手

銀座の商店で、いま、掛け売りという方法をとっている店が、はたして何軒残っているでしょう。 掛け売りとは、「岩波国語辞典第二版」には「即金でなく、あとから代金をもらう約束で、品物を先に渡して売ること。貸売り。かけ」と出ています。まだ、カードが…

銀座花祭り

1987年(昭和62年)の「銀座百点」が手もとにあります。本棚の掃除をしたら、出てきました。7月号で、No.392とあります。掃除を中断して、すわりこんで、ページをめくりました。これだから、なかなか掃除がはかどりません。 目次をひらいてみると、なつかし…

ぎょうせいビル

ぼくにとって、花粉の時期は地獄の季節です。 花粉症は、体内のセキュリティー・システムが過剰に反応して、タバコを喫ったらスプリンクラーが作動したというようなことです。マッチに火をつけただけで天井から水をまかれたら、ちょっとたまりませんよね。で…

銀座のイカロス

そのはしごは、主に天袋と呼ばれる天井近くの収納から、物の出し入れをするときに使用していました。 はしごは、特別に注文して作らせたもので、親指の太さくらいの金属の管(水道管を想い浮かべてください)で出来ていました。先の部分が、棚の上のパイプの…

一枚の繪の竹田氏

一枚の繪の竹田厳道氏は、背も高く、恰幅もよくて、風貌が年をとった桃太郎のようだった。昔風の二枚目だったのだ。時間があってのんびりできるときは、椅子に腰掛けてくつろいで、いろんな面白い話をきかせてくださった。そして、どうだい、といった表情で…

ある日の銀座

銀座は、ふだん会わない人に、やたら偶然、会ってしまうところです。できれば会いたくない人にも。でも、なぜかこれが出会ってしまうのですね。しかも、フジヤ・マツムラのような15坪たらずのちっぽけな店で、どういうわけかそういったアクシデントが頻発し…

東京日記

地震のあと襲った津波で、海に面した一帯が水につかったようだが、2度目の揺れで電話もテレビやラジオも役に立たなくなったから、くわしいことがわからない。 非常に大きな揺れだった。さいわい物が散らばった程度で家は倒壊しなかったが、遠くの親戚はずい…

鉄塔 武蔵野線3

「鉄塔 武蔵野線」の作者、銀林みのる氏からの手紙は、誠意あふれるものでした。武蔵野線の鉄塔番号が、小説発表後に3分割されて変更されたこと。変電所の名称が仏教の聖地に由来していること。二人の少年が「原子力発電所」という一種の「他界」を目指し、…

鉄塔 武蔵野線2

鉄塔を見に行く前のことですが、ちょうどかよっていた銀座のM歯科の待合室にあった「日本の地理」という本に、武蔵野の10年前の風景写真が載っているのを眼にしました。そこには鉄塔が、長く送電線を引いて、遠くまで点在している姿がありました。それは、ぼ…

鉄塔 武蔵野線 その1

正兼様は、もう90歳をこえたおばあちゃんですが、聡明で、好奇心が強く、博学で、趣味は旅行と絵画の収集、それに本をこよなく愛しています。応接間の椅子に腰をおろして、壁に掛かった絵(美術館か画集のなかでしかお目にかかったことのない絵です)を眺め…

井上靖さんと詩集

その小さなおばあさんがよちよちと店に入ってこられたとき、ぼくは森茉莉さんかとおもった。チャーミングで、可愛らしくて、ヴィヴィッドで、つい手をさしのべたくなるような、そんな方が入ってみえたのだ。森茉莉さんを知っているわけではないが、「贅沢貧…

ローマイヤのハム

柿の時期で祝日だったから、9月か10月だったのだろう。休日出勤は、夜の勤務に準じて、3人編成だった。食事は、ひとり30分ずつにして、ひととおり終ると、また順に30分ずつ休憩する。1時間ずつ取っても同じことだが、そうすると3番目の人が、昼食…