2017-01-01から1年間の記事一覧
西行の耳は魔形や桜東風 鴫立庵は、西行の〈心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮れ〉の和歌で有名。もう三十数年も前のことだが、この庵には西行像があり、風貌は悪魔か鬼神かと思うほど迫力があった。ことに尖って大きな耳が印象的だった。折…
一睡は一生花の霞みけり 不眠症の私でも、月に何回か深い眠りが訪れるときがある。そんな時は、一生分の眠りをむさぼった気がする。「一睡は一生」はオーバーな表現かもしれないが実感。「花の霞みけり」は答えが出てしまったようで、季語が動くと言われそう…
吉野過ぐ花千本をあをく見て ジプシーのような暮しが夢だった。だが、輸血が原因で肝炎となり人生の予定が狂った。それでも漂泊の思いやまず、都合をつけて旅をした。 吉野にもたびたび桜を見に行った。桜の中を漂っていると西行や絶滅した狼に会える気がし…
さくら咲く氷のひかり引き継ぎて 桜の咲く頃は、暖かくなったと思うと急に寒さがもどって冷えこむことがある。それが花冷えである。花冷えという響きから氷を想像してしまうのは私だけだろうか? 光り輝く白い桜を眺めていると、この光はきっと氷のひかりを…
栗鼠の尾の土牢を掃き春遅し 鎌倉の光則寺の裏山には土牢があり、周辺の木々を往き来するリスを見たさに俳句の仲間とよく立ち寄った。 その日は、偶然にも土牢にリスがいた。長い尾っぽでしきりに土を擦るリスの動作は土牢を掃いているようだった。「まるで…
ビーナスの影は闘志よ鳥帰る 美大生のとき、上野の西洋美術館でヴィーナスを観たことがある。ライトに照らしだされたヴィーナス像は、凛々しく気品があった。艶麗さとたくましさを兼ね備えた女神。その影に目をやると古代の剣士のようだった。最終日だったの…
岬暮れ青を恥ぢらふ猫じやらし 枯れ一色の岬は、夏や秋と違って寂寞たる趣がある。枯淡の世界の中で風に吹かれる猫じゃらしたち。一本だけ青いのを発見した。まるで枯れずにいることを恥じているように揺れている。なんだか、いつまでも青くさい私自身を見て…
米喰はぬ日は怒りがち雲の峰 炊きたてのふっくらした御飯が好きだ。お米を食べない日は、いらいらして怒りっぽい。そのことを素直に詠んだ。自分の思いを詠む場合は季語に細心の注意を払っている。「雲の峰」は飛躍しすぎるかもしれないが句柄を大きくするた…
寒卵は尼の静けさ岬暮る 俳句の仲間と伊豆に行ったときの作。一日、冬の海を吟行し、いざ帰ろうとしたとき岩屋を発見。そこには小さな祠があり、コップ一杯のお酒と卵が一つ供えてあった。あたりは暮れかかっていたが薄闇の中のほの白い卵は、尼様が静かに座…
枯れいろのなき淋しさや菊の武者 菊人形は、菊の花や葉が萎れると菊師が新しいものを補充するのだろうか。いつ見ても白や黄や紅などの菊で美しく飾りつけされている。それは、菊細工であり見世物としての菊人形の宿命か。枯れることを許されない菊人形がさび…
式服の絹たよりなき秋つばめ 友達の結婚式に出席するため、絹のドレスを着た私に母は「貴女はいつお嫁に行くの?」と聞いた。「そのうち、桂さんと結婚するかもよ」と冗談で好きな木の名前を言ったつもりが、母は桂という名の男性だと勘違いしてしまったのだ…
かなかなやある日は帰る道変へて 三十代の頃、仕事の激務から開放されてひとりになりたいときは、いつもの道を帰らずに寄り道をした。 あるとき、公園のベンチでかなかなの鳴き声に聞き惚れていた。そして、かなかなが恋人だったらいいなと思った。クールに…
麦の髭揺らす雀や誕生日 俳句を作りに麦畑へ行くと、一本の穂麦を揺らしている雀が目にとまった。嬉々として麦の穂と遊んでいる姿は微笑ましい。ときどき、こちらを見ては鳴いてくれる。その日は私の誕生日。なんだか雀に祝福されているようで心が和んだ。 …
栗の花置くここちして土用灸 祖母の腰にお灸を据えるのが小学生の私の役目だった。色や形が乾いた栗の花のようなもぐさ。小さくちぎって丸めたもぐさを祖母の腰の上に五つほど並べ、線香の火を点じる。すると、燃えながら煙を立てるもぐさは小さな小さな狼煙…
蝦蛄売のふらり来る街稲妻す まだ小さかった頃、母が「そろそろ蝦蛄売のおじさんが来るわよ」と言うと、かならずおじさんは現れた。 魚籠をのぞくと、青灰色や薄みどりの蝦蛄が元気に飛び跳ねている。私なんか、たった十二年しか生きていないのにもう疲れ果…
眠たやさ寒禽和紙の微音して 眠気を催すとか、睡魔に襲われる、という経験はあまりない。不眠症なのでいつもぼっとしているが、ぼっとと眠気とは違う。せめて俳句に詠んでみたかった。 雀や野鳥の飛ぶときの音は、和紙をこすったときの音がする。ことに、寒…
雪踏んで光源氏の猫帰る 猫の恋がはじまるのは、早春。雌を求めてさまよう雄猫の鳴き声を聞くと春の足音を感じる。 この句の光源氏は、以前飼っていた海丸という美形の雄猫。雌猫と見れば追いかけて求愛する。夜遊びばかりして、朝帰りはいつものこと。雪の…
星屑の冷めたさに似て菊膾 菊膾を食べていて、星屑ってこのように冷たいのではないか、と思った。直感で作ることが多かったので、即、句にした。 今なら、直感だけに頼らずよく観察して句作する。第一、星屑に触れたこともないのだから実感がない。しかも思…
大姉も小姉も細身十月野 姉のいない人には、「姉さんが二人もいていいなあ」とうらやましがられる。中学を卒業してから、進学したくないとごねる私を高校に行かせ、絵に興味を持たせてくれたのは姉たちである。優等生の二人は、父母から期待されて大変だった…
風の町すみれ嗅ぐにも父似の鼻 幼い頃、「お父様に似ていますね」と言われると、とっさに両手で鼻を隠したそうだ。隠すくらいだから、気にいっていなかったのだろう。幼い頃は、自分の容貌についてあまり気にしないものだが、思春期になるとそうはいかない。…
かき氷さくさく減らし同世代 かき氷を食べながら、映画や旅の話を良くした。ときには、恋愛の相談もされた。別れられずにくよくよする女友達に、恋もしたこともないのに「男性は追っては駄目、追うようにしむけなくては」「ハンカチを取り替えるように男性を…
鳩内気すずめ陽気に梅雨の家 グルグルと鳴く、鳩のくぐもった声を内気、活発で光を振り撒くように鳴く雀を陽気と捉えたところが面白いと師の角川源義は評して下さった。だが、下五の「梅雨の家」の置きかたが気にいらなくて、これでよいのか質問しようとした…
(大木あまり詩画集「風を聴く木」)あとがき 私に詩らしきものが書けるか遊んでみた。 遊ぶことは、自分をためすことでもある。日常の暗い罠に陥らぬためにもわたしには遊びが必要であった。レオノール・フィニーに「目のまわる遊戯」と言う絵がある。虚構…
青いうねり 花冷えの空には 雲の吐息。 桟橋を打つ波音は 異国の音。 砂まみれの流木に 腰をおろせば 青い波の うねりの彼方から やってくる ヴォーヴォワール忌。
昼顔 愛も 言葉さえも拒み 太陽に抱かれる 昼顔。 抱かれながら 荒野の夢を見る。 滅びるときを 待つ そのけだるい顔。 有刺鉄線に 巻きつきながら 風と交わる 昼顔。 交わりながら 放浪の夢を見る。 肉欲も 快楽もなく 滅びるときを 待つ そのさびしい顔。 …
夜 あなたは 黒が似合う 美しい孤児。 あなたとわたしは よく似ている。 愛と嘘が似ているように。 あなたが存在するかぎり わたしに人生の鏡はいらない。 あなたに抱かれると 傷は癒え 愛がふたたび あふれでる。 あなたの心を しっかりセロハンで 包んでお…
窓 マチスは窓を 象徴に愛を描いた。 ある詩人は 窓こそ 自然を飾る 額縁といい 窓こそ 真実の 名画を見せて くれるといった。 死者さえも 小さな棺の 窓を持っている。 小鳥となって はばたくために。 わたしの窓は きれいなものばかり 見せてはくれない。 …
夢を見る木 あなたとわたしは この地球に ちらばった 種だった。 あなたは わたしより 先に生まれても 後に生れても いけない人だった。 あなたとわたしは 同じ時代の さびしい共犯者で なくてはならなかった。 それなのに めぐり逢う季節を どこで間違えて …
花冷え あの日のように 桜が吹雪いている。 解体される この家は廃屋の 荒々しさ。 落花が鱗となって 屋根に貼りついている。 あの日、 なかなか出てこぬ あのひとを 家の外で待っていた。 桜は子供のわたしを 攫うように 隣のK荘から降ってきた。 素足で穿…
薄氷 刺客になれない 主婦は せいぜい大根を 切るのが関の山。 日常に疲れた 主婦を大根は 切ってくれない。 輪切りの大根には 薄氷のはじらいがある。 それは人間が 日々失ってゆくもの。 そのことを忘れぬため 大根を切らずにはいられない。 夫より友達よ…