大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」P84

ことごとく裂け月の出の青芭蕉 月の出の時刻になると、帰宅する夫のあとを追いかけるように猫たちが帰ってくる。猫は体内時計を持っているのか、どんなに遠出していても、暗くなると戻ってくる。 月の出といえば、昔、黄金丸という猫を探しあぐねて空を見上…

大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」P82

寒月下あにいもうとのやうに寝て 美大生のとき、ギリシャ神話を題材にした月と狩猟の女神ダイアナの絵を模写しながら、兄のアポロとダイアナは宇宙の片隅で、星座のベッドで抱き合い眠りながら、それぞれ違う夢を見たのでは? と空想した。幼稚な空想だが、…

大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」P80

夫にして悪友なりし榾を焚く 兼題に出た「夫」で苦吟していた。農家でもらった桜の根榾を庭で燃やしながら想を練った。その頃の夫は、無愛想で辛辣で頑固。ニヒルな風貌からか、知人達に「眠狂四郎」と呼ばれていた。それで俳味を出すために反語的に「悪友」…

大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」P78

猪鍋や大山の闇待つたなし 石田勝彦先生と結社「泉」の方々と大山周辺を吟行した。名物の豆腐料理が食べられると期待したものの、一行はケーブルカーで阿夫利神社へ直行。社務所の裏で秘かに豆腐のアイスクリームを食べようとしたら、「神の鹿を詠みなさい」…

大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」P76

ぼろ市や空一枚を使ひけり 東京世田谷のぼろ市を吟行したときの作。第二句集『火のいろに』を上梓することが決まり、頻繁に吟行をした。無所属で俳句をやっている私を心配した石田勝彦先生がたびたび吟行に誘って下さった。 このときも、先生のお伴をして古…

大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」P74

がちやがちやの森を壊してゐたりけり いろいろな虫の音があふれている夜の森で、ひときわ個性的なのが、がちゃがちゃとも呼ばれる轡虫。そのがちゃがちゃと賑やかでやかましい鳴き声が最高潮に達すると、森が壊れるのでは、と思ってしまう。それは轡虫の生態…

大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」P72

遠雷や人を待たして人待たず 老母や猫の世話をしていて、待ち合せの時間にたびたび遅れることがあった。遅刻するだけでも迷惑なのに、吟行の最中に野良猫と遊んだり気儘な行動をするので、俳句仲間はたまったものではない。それでいて、待つとなると三十分が…

大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」P70

飛火野の草萌え髪の伸びにけり 草萌えの頃の飛火野を歩いた。命あるすべての物が生の息吹を漲らせる春。春に髪の毛が伸びると感じるのも、ごく自然のことなのだと納得した。そこで、万葉の歌人・額田王気どりで詠んだ。他にも地霊の力を借りて〈草萌えに鹿の…

大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」P68

猫眠亭と名付けてよりの朴落葉 我が家を猫眠亭(びょうみんてい)と名付けてから三十年が経つ。この家を初めて見に来たのは、五月の雨の降る日だった。買い物もバスで行くような不便な土地で生活できるかしら? その不安を払拭してくれたのが隣の雑木山に咲…

大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」P66

白菜を洗ふ双手は櫂の冷え 冬の晴れた朝、白菜漬を作ろうと思った。それには、白菜を洗って干さなければならない。庭の洗い場で、水道の蛇口をひねり白菜をざぶざぶと洗う。白菜にあたる水しぶきが雨音のようで心地よかった。だが、時間が経つにつれ、冷えき…

大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」P64

木枯や菊子夫人の菊づくし 北原白秋夫人の葬儀は、木枯の吹く寒い日だった。長兄の代理として参列したものの、菊子夫人と面識のなかった私は話しかけて下さる方々と会話がすぐにとぎれてしまう。仕方なく、借りてきた猫のように静かに参列者にお茶を出す手伝…

大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」P62

イエスよりマリアは若し草の絮 絵や彫刻のマリアは、ピュアで若々しく自愛に満ちた顔をしている。それに比べイエスは老成した顔だ。「イエスよりマリアは若し」というフレーズに付ける季語は? と思ったとき、ふっと黄金の草の絮が目に浮かんだ。躊躇なくマ…

大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」P60

太陽は果実のごとし秋の山 友人のTに誘われて高尾山に行った。お茶屋で色々なものを食べよう。その心積りでいたがTはダイエット中、おにぎり二個の昼食になろうとは……。やっとのことで薬王院がある頂上に辿り着き、俳句を作ろうと見渡せば金色に輝く太陽がマ…

大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」P58

郭公や少年の家は竹の中 竹林の中に少年が住んでいた。彼が作った小屋には一匹の柴犬と二匹の黒猫。家族はそれだけだった。農家の手伝いをしながら自活する少年の唯一の楽しみは、化石のかけらをあつめること。疲れるとスティングのCD「セット・ゼム・フリー…

大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」P56

ほうたるを双手に封じ京言葉 俳人の中村堯子と蛍を見た夜のことが忘れられない。あの夜、堯子は両手で摑えた蛍を薄い和紙に包んで私に渡してくれた。和紙から透けて見える青白い光は神秘そのもの。冷ややかな光を放つ美珠のような蛍。蛍火の美しさを際立てて…

大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」P54

秘めごとや鬼雲となる夕焼雲 秘め事というほどのことでもないが、初心者の頃から山川蝉夫のファンだった。当時の日記を読むと、〈きみ嫁けり遠き一つの訃に似たり〉という彼の一句が書きとめてあり、その脇に小さな文字で「私がいるからだいじょうぶ」とだけ…

大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」P52

三人の晩餐蜘蛛に見られけり 「この句は、具体的には、あまりと夫、当時同居していたあまりの母という三人の夕餉に想を得たものと思われる。が、『見られけり』と感受した瞬間、日常的光景が非日常の色彩を帯びた。……三人のかすかに緊張した関係も窺われるの…

大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」P50

若葉冷え罪を問はれてゐたるかに 私が第二句集『火のいろに』を上梓した頃、母は俳句への情熱を失いつつあった。気になって「私が俳句に本腰を入れたからって安心しないで、自分のために俳句をやってね」と言うと「心の中で沢山作ってますよ。句集ができるく…

大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」P48

地獄絵に風の牡丹を加ふべし 俳句を始めてから、地獄絵の句を読むたびいつか詠んでみたいと思っていた。 秩父のあるお寺で地獄絵を観たとき、真に迫った描写に圧倒された。だが、おどろおどろしたなかにも美しさのある地獄絵であってほしい。もし何か足すと…

大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」P46

西行の耳は魔形や桜東風 鴫立庵は、西行の〈心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮れ〉の和歌で有名。もう三十数年も前のことだが、この庵には西行像があり、風貌は悪魔か鬼神かと思うほど迫力があった。ことに尖って大きな耳が印象的だった。折…

大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」P44

一睡は一生花の霞みけり 不眠症の私でも、月に何回か深い眠りが訪れるときがある。そんな時は、一生分の眠りをむさぼった気がする。「一睡は一生」はオーバーな表現かもしれないが実感。「花の霞みけり」は答えが出てしまったようで、季語が動くと言われそう…

大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」P42

吉野過ぐ花千本をあをく見て ジプシーのような暮しが夢だった。だが、輸血が原因で肝炎となり人生の予定が狂った。それでも漂泊の思いやまず、都合をつけて旅をした。 吉野にもたびたび桜を見に行った。桜の中を漂っていると西行や絶滅した狼に会える気がし…

大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」P40

さくら咲く氷のひかり引き継ぎて 桜の咲く頃は、暖かくなったと思うと急に寒さがもどって冷えこむことがある。それが花冷えである。花冷えという響きから氷を想像してしまうのは私だけだろうか? 光り輝く白い桜を眺めていると、この光はきっと氷のひかりを…

大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」P38

栗鼠の尾の土牢を掃き春遅し 鎌倉の光則寺の裏山には土牢があり、周辺の木々を往き来するリスを見たさに俳句の仲間とよく立ち寄った。 その日は、偶然にも土牢にリスがいた。長い尾っぽでしきりに土を擦るリスの動作は土牢を掃いているようだった。「まるで…

大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」P36

ビーナスの影は闘志よ鳥帰る 美大生のとき、上野の西洋美術館でヴィーナスを観たことがある。ライトに照らしだされたヴィーナス像は、凛々しく気品があった。艶麗さとたくましさを兼ね備えた女神。その影に目をやると古代の剣士のようだった。最終日だったの…

大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」P34

岬暮れ青を恥ぢらふ猫じやらし 枯れ一色の岬は、夏や秋と違って寂寞たる趣がある。枯淡の世界の中で風に吹かれる猫じゃらしたち。一本だけ青いのを発見した。まるで枯れずにいることを恥じているように揺れている。なんだか、いつまでも青くさい私自身を見て…

大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」P32

米喰はぬ日は怒りがち雲の峰 炊きたてのふっくらした御飯が好きだ。お米を食べない日は、いらいらして怒りっぽい。そのことを素直に詠んだ。自分の思いを詠む場合は季語に細心の注意を払っている。「雲の峰」は飛躍しすぎるかもしれないが句柄を大きくするた…

大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」P30

寒卵は尼の静けさ岬暮る 俳句の仲間と伊豆に行ったときの作。一日、冬の海を吟行し、いざ帰ろうとしたとき岩屋を発見。そこには小さな祠があり、コップ一杯のお酒と卵が一つ供えてあった。あたりは暮れかかっていたが薄闇の中のほの白い卵は、尼様が静かに座…

大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」P28

枯れいろのなき淋しさや菊の武者 菊人形は、菊の花や葉が萎れると菊師が新しいものを補充するのだろうか。いつ見ても白や黄や紅などの菊で美しく飾りつけされている。それは、菊細工であり見世物としての菊人形の宿命か。枯れることを許されない菊人形がさび…

大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」P26

式服の絹たよりなき秋つばめ 友達の結婚式に出席するため、絹のドレスを着た私に母は「貴女はいつお嫁に行くの?」と聞いた。「そのうち、桂さんと結婚するかもよ」と冗談で好きな木の名前を言ったつもりが、母は桂という名の男性だと勘違いしてしまったのだ…