大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」P144

亡き人にあたらぬやうに豆を撒く 母が亡くなったのは、平成十年の十二月二十日。まだ悲しみを引きずっていてその年の節分の豆撒きをやめようと思っていた。が、知人のTさんが我が家の分まで年の豆を用意してくれたのだ。御好意を無にしないように撒くことに…

大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」P142

流感は古き浮巣を踏むここち 流行性感冒になったとき高熱にうかされ、古い浮巣を踏んでいる心地になった。 もうろうとした意識の中のあの異状感はなぜ? と今でも疑問を抱くが、兼題で「流感」が出たので、あまり深く考えずに、あるがあままを詠んでしまった…

大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」P140

弓のごとく桜の枝を持ち歩く 増上寺で藺草慶子さんと吟行をしたときの作。その日、増上寺の境内を歩いていると植木職人たちが桜の枝を剪っていた。落ちてくる枝には花や蕾が沢山ついている。拾った一本の枝を弓のように持ち歩く慶子さん。弓場へと向かう姫君…

大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」P138

春の波みて献立のきまりけり 無性に海が見たくなると横浜に行き水上バスに乗る。船に乗ったときの爽快な気分と開放感がたまらない。きっと日常から非日常の世界に連れて行ってくれるからだろう。のんびりと波と戯れる鷗。沖に碇泊する白い巨船。この句は、船…

大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」P136

悲しみの牛車のごとく来たる春 寒い冬から解放される春。木々が芽吹き生きものの総てが勢いを取りもどす春なのに、ある事で悲しみから立ち上がれずにいた。 そんなとき、俳人の木村定生さんが「だらーんとしてればいいんですよ」と言ってくれた。そう、牛車…

大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」P134

涅槃図に加へてみたきあめふらし 城ヶ島の磯で、打ちあげられた雨降らしを初めて見たとき衝撃を受けた。暗紫色の形と感触が牛のレバーに似ている珍しい生きもの。巻貝の仲間とは思えなかったが妙に親近感を抱いた。自分では海に帰ることもできない海降らしを…

大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」P132

あかき火となりゆく藁や昼の虫 藁を燃やすと瞬く間に美しい火となった。その炎に応えるように色々な虫が庭で鳴いている。虫時雨を実感するのはこういうときだ。ときおり木犀の香がして晴れ渡る空一面に羊雲。一匹ぐらい落ちてくれば一緒に遊べるのに。炎の花…

大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」P130

野村万蔵蹴つて袴の涼しけれ 野村万蔵の狂言を観たことも彼の麻の袴が涼しげだったことも覚えている。揚句の他に〈羅のふはりふはりと名のりけり〉〈狂言や扇ひとつを鋸として〉〈狂言や帷子(かたびら)に皺ふやしつつ〉などの句も作っているのだ。それなの…

大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」P128

青空の下に檻ある辛夷かな 横浜市西区、野毛山動物園での作。この日のお目当ては黒豹だった。檻の前に立つと黒豹は牙をむいてしきりに威嚇する。敏捷な身のこなし、不敵な面構えは野生そのもの。ときどきちらっと見せる桃色の舌がなんともかわいかった。春を…

大木あまり「シリーズ自句自解1 べすと100」P126

わが柩春の真竹で作るべし 「一生が短いか長いかはその人によるけれど、人間が一番輝くのは死んだとき」と母は言った。ならば、最後を輝かせるために自分の美意識に適う青い竹の柩を作りたい、そう思った。それも生きているうちに西行の忌日に合わせて竹で編…

大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」P124

祇王寺へ水仙売の消えにけり 嵯峨野が好きで、四季折々の嵯峨野の景色を楽しみながら、〈落柿舎や頭めぐらす雀の子〉〈野宮や春の落葉の氷りたる〉など他にも沢山の句を作った。この祇王寺を訪れたとき偶然、水仙売に出会ったときのもの。野水仙の束を抱えた…

大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」P122

火に投げし鶏頭根ごと立ちあがる 鶏頭の個性的な立ち姿は、猛々しいが万葉集では「韓藍(からあい)」と詠われ若い女性に喩えられている。 そんな、不思議な赤紅色の鷄冠(かんむり)形の花の美しさと力強さを詠むために、枯れた何本かを燃やしてみたことが…

大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」P120

雨やみしのちのかなかなしぐれかな 山西雅子さんと鎌倉の杉本寺に吟行したことがあった。境内の木陰で、周りの風景を眺めながら作句に集中する雅子さん。私は小動物のようにせわしなく歩き回った。歩きながら、対照的な二人の友情が長続きしているのは聡明で…

大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」P118

終戦の日のかもめらに腋力 煌めく海の上を飛翔する鷗、海面や波間に漂う鷗を眺めていると、すごい腋力! と思う。両腕がなくても翼と強い腋の力があれば、懸垂をやらせても鷗は上手だろうし、平行棒や鉄棒など体操選手顔負けの演技をするにちがいない。顔つ…

大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」P116

落ちてくる水の力や百合の花 瀧が好きで〈秋深きものにはるかな瀧ひとつ〉〈瀧音に肩をそがれてゐるごとし〉〈凍瀧や千年も待つここちして〉〈黙契は凍てたる瀧にこそすべし〉〈凍瀧や禽ちらばつて散らばつて〉など袋田の瀧で作ってきた。 あるとき、瀧の飛…

大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」P114

嘴のかたさの箸や年の酒 我が家の正月はいつも〈おめでたうと言うても二人睨鯛(にらみだい)〉という感じである。毎年、元旦は日本酒で乾杯し、太くて長い箸で鷺や鴫が餌を啄んでいるみたいにおせち料理をいただく。太箸が嘴の固さだと気付くのものんびりと…

大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」P112

のうぜんや牛の睫に藁ぼこり ある日、近くの教会の鐘の音とともに牛の鳴き声が聞こえてきた。気になって牛の声のする方へ歩いて行くと農家に一頭の牛が飼われていた。雌牛の名は夢子。鼻面を撫でると、まつ毛に藁のほこりをつけた彼女は、御返しに私の手のひ…

大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」P110

蝉よりも生き長らへて蝉の殻 あなたが、君の好きな草の実をあげるといって蝉の殻をプレゼントしてくれたあの夏の日から何十回もの夏がめぐってきました。 最近、あなたと草原で風の音を聴きながらミルクティーを飲んでいる夢を見ました。夢の中の風景はすべ…

大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」P108

水銀の流るるごとし川の蛇 近くの川辺を歩いていると、夕映えの川面をきらきらと流れてくるものがあった。よく子猫が捨てられているので、子猫の死骸? と目を凝らしてみると一匹、いや二匹の蛇だった。驚く私を後目に蛇たちはしなやかに泳いで行く。水銀が…

大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」P106

ゆき合へる蟻の突立つ牡丹かな いつものように散策していると、森の中に屋敷があり、広い庭いっぱいに紅、白、黄の美麗な牡丹が今を盛りと咲き誇っていた。ふと足元を見ると蟻たちがせわしなく往来している。すると、出合い頭に二匹の蟻がまっすぐに立った。…

大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」P104

青空の雨をこぼせり葛の花 夏から秋にかけて我が家の庭は葛に覆われ隣家も見えない。毎年、その時期になると待ちに待った香の客(まろうど)がいらっしゃる。客の正体は葛の花。その芳香に心癒され創作意欲も湧いてくる。甘美な香に猫たちもうっとり。だが、…

大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」P102

凌霄に猫のあかるき肛門よ 晩夏になると庭のフェンスに巻き付くように凌霄が黄紅色の大きな花を次々に咲かせる。まるで約束したように咲く実直な花だ。 この句、石田勝彦先生は「猫ではなく象にしなさい」とおっしゃった。添削の名手の先生のご指導ではある…

大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」P100

せんべいの瘤のさびしき日永かな 写真家で俳人である福島晶子の海の見える家で、海を独占しているような気分で二人句会をやった。席題は「春の波」と「椿」。だが、話ばかりして句会が進まない。茶請けのおせんべいに瘤のようなふくらみを見つけた晶子が「エ…

大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」P98

金閣をにらむ裸の翁かな 急に金閣寺に行きたくなり、新横浜から新幹線に跳び乗って京都へ。金閣寺に着いたのは午後二時。うだるような暑さだった。眼前の金閣寺も水面に倒影したその姿も華美で趣があった。屋根の避雷針を発見して驚いていると大柄な老人が腕…

大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」P96

牡蠣鍋や狂はぬほどに暮しをり 母の世話や心労で軽い鬱になったことがあった。そんな時、長谷川櫂さんが母と私を藤沢の自宅に招いて下さった。心づくしの手料理で私たちをもてなす櫂さんはその頃、記者としてまた俳人として多忙な日々を送っていらした。だが…

大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」P94

風船かづら禁欲のいろ極めけり 風船蔓が、風船に似た薄緑の実をつぎつぎにつけるのを見て、この涼やかな若草色は禁欲の色だと直感した。そして、何かに耐えているような形から想を得てこの句はできた。 俳人、石田いづみさんは、風船蔓がお好きだった。風船…

大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」P92

太陽や竹林といふ夏の檻 人間関係や句作に疲れると、近くの竹林の精神科によく通ったものだ。竹林の中に、精神科があり、医師がいるわけではない。竹林そのものが私にとって精神科であり、そこを吹く風や黒揚羽や木漏れ日が医師だった。空へ真っ直ぐに伸びた…

大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」P90

木の揺れが魚に移れり半夏生 静岡県の柿田川湧水に、長谷川櫂氏、千葉皓史氏、私の三人で吟行をした折の作。 クレソンや水草が群生する柿田川は、澄んでいて小魚たちの動きがひと目見てよくわかった。水辺の草木が揺れるとそれが合図のように小魚たちは揺ら…

大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」P88

枝炭の骨の音して山あかり 二十年前のことだが、山里の情緒に富む寺家という所に、茶道で火を起こすのに使う枝炭をよく買いに行った。田園都市線の青葉台駅からバスで十数分で行けるこの町は、炭を焼くことでも知られていた。ある日、炭屋に行ったとき、石灰…

大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」P86

まだ誰のものでもあらぬ箱の桃 二十三歳の私の悩みは、交通事故のときに何針も縫った顔の傷跡だった。瞼、眉間、左の頰の傷跡の、紅く桃の断面のような生々しさ。母は私のことを「桃姫」と呼び癒えない傷なんてない! と励ましてくれた。が、何処に行っても…