2015-01-01から1年間の記事一覧

綴じ込みページ 猫-216

ミーヤの首輪は、どこかに引っかかると外れるようにできている。首を締めてはたいへんだからね。首輪の生地は、この前は紫の緞子、いましているのは生成りの麻、そしてつぎに用意したのは紺の紬である。一応、季節に合わせている。なんといっても女の子だか…

綴じ込みページ 猫-215

一九九六年三月二十五日初版第一刷発行の「吉岡実全詩集」が本棚にある。うれしいことに活版印刷である。限定版ではないが、初版は少部数しか発行されなかっただろうから、限定版といっしょである。だいいち、吉岡実といっても、どれだけのひとが知っている…

綴じ込みページ 猫-214

話は多少旧聞。 ぼくは、夜はほとんど外食だが、面倒なのでいつも同じ店に行くことにしている。 昔から駅の近くにあった中華食堂が、十か月かけて新装開店した。モルタルの古臭い建物で、せいぜい二階までだったものが、いざ再開してみると、ちょっとしたマ…

綴じ込みぺージ 猫-213

宮田毬栄「忘れられた詩人の伝記」(中央公論新社)には、詩人・大木惇夫の詩がたくさん掲載されている。ほとんど全詩が収録されているのかもしれない。オビに「起伏だらけの詩人の一生を、全詩作品と時の流れを通して娘が描き出す、画期的労作。」とあるか…

綴じ込みページ 猫-212

「忘れられた詩人の伝記」(宮田毬栄・中央公論新社)の137ページに、「橇の鈴さえ 寂しく響く」とはじまる詩が載っている。東海林太郎が歌った「国境の町」の出だしといえば、たいていの(同世代の)人が知っているだろう。「雪の荒野よ 町の灯よ」とつづく…

綴じ込みページ 猫-211

築地本願寺に棲みついている猫のニャンニャンが、境内に駐まっている黒のランドクルーザーのボンネットの上で寝ているのが見えた。会社の帰りで、まだ夕方の五時をまわったばかりの時刻である。 ぼくは、ニャンニャン、と軽く呼びかけながら、ニャンニャンの…

綴じ込みページ 猫-210

うまくファンジャケットを着こなせるかどうか。それが、この夏の宿題。

綴じ込みページ 猫-209

ブラックフリースときいて、ははん、とすぐにわかる人はどれくらいいるだろう。でも、ブルックスブラザーズときけば、たいていの人が知っているに違いない。 ぼくがはじめてブルックスブラザーズの品物を眼にしたのは、昭和五十二年のことだ。まだ正式には輸…

綴じ込みページ 猫-208

オークションで落札したパナマハットを、はじめてかぶって出かけた。 別に麦わら帽子でもよかったのだが、ぼくは頭のサイズが小さくて、なかなか合うものがない。それで、結局またオークションに頼った。高級なものから手軽なものまで、いろいろ出品されてい…

綴じ込みページ 猫-207

家猫で、一年中空調のきいた室内に暮らしていていると、抜け毛がめっきり減るものらしい。らしい、と書いたのは自信が持てないからで、実際、ぼくの猫は毎日ブラッシングしているけれど、最初の年のようには毛がとれなくなっている。ダーウインの進化論で説…

綴じ込みページ 猫-206

たまたま休日にお会いしたわさびさんに(その日の格好を)、 「売れない芸人みたいな服装ね」 といわれた。 「売れない芸人、ですかね」 と口のなかでもぐもぐいったが、じつはちょっとうれしかった。平成元年に六十歳でなくなったある作家の服装を思い出し…

綴じ込みページ 猫-205

吾が妻という橋渡る五月かな 貨物船 貨物船というのは、詩人の故・辻征夫の俳号。「俳諧辻詩集」所収の「吾妻橋」という題名の詩の冒頭にこの句があげられている。 枕橋を過ぎ 長命寺の裏を通って 昭和二十三年三月十日にも焼けなかった 路地の迷路に 男は消…

綴じ込みページ 猫-204

ぼくは、昭和五十二年にカミサンと出会った。そして、その年、カミサンの姪が大阪の高石市羽衣で生まれた。すべて、偶然である。姪は、長じて銀行員になり、そこそこキャリアとなって、いまだ独身である。会社はおっさんばかりで、恋愛対象なんていてへん、…

綴じ込みページ 猫-203

昭和五十二年七月十八日に、ぼくはフジヤ・マツムラに入社した。アルバイトでもよかったのだが、正社員だった。 九月に、大阪に出張することになった。なんば高島屋で開催される大きな催事の準備のために、ほかの社員より一週間早く現地に入って、タクシーで…

綴じ込みページ 猫-202

英王女の名前が、「シャーロット・エリザベス・ダイアナ」に決定した。なんだかずいぶんと気をつかった名前で、ウィリアム王子夫妻の人柄がしのばれるようである。 王女は、五月二日生まれ。干支は、乙未である。四月二日生まれだったら、ミーヤと同じだった…

綴じ込みページ 猫-201

ミーヤがきて四年たつうちに、鰹節の味も、じゃこの味も覚えた。海苔も食べたし、せんべいを舐めることも経験した(食べさせないでちょっと舐めさせるだけ。猫が舐めたせんべいはぼくが食べてしまう)。 ビニール袋に入った、調理された猫用のカツオの身を、…

綴じ込みページ 猫-200

猫の飼い主のすべてがロイヤルカナンを信奉しているわけではない。あたりまえの話である。それぞれの家庭に一家言あり、飼い主は、自分の愛する猫のために最良の食事を用意するのである。 ミーヤ歴二年目に、ぼくはミーヤをよろこばせたくて、近くの鶏肉屋で…

綴じ込みページ 猫-199

ミーヤのごはんは、ロイヤルカナンの「室内で生活する 中高齢猫用 インドア7+」である。中高齢期本来の活力を維持、とか、美しく健康な被毛を維持するために、とか、適切なリンの含有量によって健康な腎臓を維持、とか書いてある。体重に応じて一日の標準給…

綴じ込みページ 猫-198

ミーヤの爪切りをした。ぼくのもとへきてから四年経ったが、手の爪(前足の爪)をまとめて十本切ったのははじめてのことである。 もっとも、ミーヤは、簡単に切らせてはくれなかった。 うしろから、ぼくの足で胴締めをするかたちで押さえつけたのだが、何本…

綴じ込みページ 猫-197

子供の頃、テストのとき、最後に見直しをして、ついつい書き直してしまい、失敗したことがよくあった。 今回の句会の兼題に「寺」とあって、一計を案じて前書に寺を入れた。いわく「本願寺にて」。 築地本願寺には、野良猫ながら守衛さんに世話をされている…

綴じ込みページ 猫-196

ぼくが定年を迎えたとき、セピア色のインクで書かれたはがきが届いた。私的な事柄だから書かないつもりでいたが、よく考えたらぼくの書くものはいつだって極私的なことばかりである。久しぶりにその先生にお会いして、ふたまわり近く年下の画家が、ぼくなん…

綴じ込みページ 猫-195

楽しみにしていたテレビドラマのシリーズが、最近、立て続けに終わってしまった。ひとつは「シャーロック・ホームズの冒険」で、もうひとつは「ポアロ」である。録画装置がついていないので、必ずじかに観なければならないのには困った。ブラウン管式のテレ…

綴じ込みページ 猫-194

さて、「小さいおうち」の原作本は、まだテーブルの上に置いたままである。テーブルの前にすわるたびに本が目に入る。ああ、読まなくちゃ、とおもいながら、朝、パンを食べ、夜、湿疹の薬をつける。 すすめられた「世界史の極意」(佐藤優・NHK出版新書)も…

綴じ込みページ 猫-193

正月にいて丁さんがボーラーハットをかぶっていた。いわゆる、山高帽である。ご本人は、内田百間先生を気取っているらしかったが、ぼくの眼には川上澄生「ゑげれすいろは人物」に出てくる、あのへっぽこ先生に見えた。 このとき、ぼくにも帽子をかぶるようす…

綴じ込みページ 猫-192

ぼくが物心ついたときには、母はもう痩せたおばあさんだった。ぼくは、母が三十四歳のときの子どもだから、小学校入学のときにはすでに四十歳で、中学二年では五十歳ちかかったことになる。 その中学二年の夏休みに、(夏休みは陸上部は本当は休部なのだが)…

綴じ込みページ 猫-191

映画「小さいおうち」を観てから、この物語がずっとぼくのなかに棲みついている。以前、「フランス軍中尉の女」を観たときも、しばらくその世界が頭に染みついていたことがあった。 昔、女中というのは、いまでいうお手伝いさんとはまったく別の存在だった。…

綴じ込みページ 猫-190

ぼくは、いま、書店に行っても俳句か詩のコーナーしかのぞかないから、その本が目に入ったのはまったくの偶然だった。いや、偶然には違いないけれど、ぼくは必然だとおもっている。神様が眼につくようにしむけてくださったのである。いつも、そうだから。 「…

綴じ込みページ 猫-189

ぼくの本棚は三段になっているが、奥行きがあるので、横に積み上げた本が三列詰まっている。この家に越してきたとき、遊びにきた家内の姪二人が、二階を見に駆け上がっていき、すぐに笑いながら降りてきた。 「どうしたの」 家内が二人にたずねた。 「だって…

綴じ込みページ 猫-188

毎月一回、句会に出る。もう七年続いている。 いろんな人の句集をずいぶん読んだが、気になる俳人というのは存外すくない。もっとも、これは小説家の場合も同じで、理由がぼくにあることは十分承知している。 古典、名作、傑作といっても、味覚といっしょで…

綴じ込みページ 猫-187

平久井、泥谷、利根山。これは、いずれも姓である。ここ二週間のあいだに、たてつづけに遭遇した苗字だが、利根山に関してはぼくの母方の姓だからはじめてというわけではない。 平久井、ひらくいさん。会社の複合コピー機のメンテナンスにみえて、名刺を交換…